連載コラム

このページを共有する
  • ツイートする
  • シェアする
  • ブックマーク
  • LINEで送る

2021年09月22日

なでしこリーグの歴史を知ろう 第8回「ワールドクラスの活躍」

日本で女性がサッカーをプレーすることが珍しかった時代から、女子サッカーリーグ開幕、女子ワールドカップ優勝、女子プロサッカーリーグ創設、また、女子サッカーを取り巻く環境、そして社会情勢は大きく変化してきました。
年内にかけて全22回の連載を予定しています。激動の日本女子サッカーの歴史を振り返ります。
(毎週水曜更新)

8_リンダ・メダレン(日興證券).jpg
リンダ・メダレン 選手(元ノルウェー代表)

 1990年代の終わり、L・リーグ(現在のなでしこリーグ)は存亡の危機を迎えます。3連覇を飾った「日興證券ドリームレディース」が解散、「フジタサッカークラブマーキュリー」、「鈴与清水FCラブリーレディース」、「シロキFCセレーナ」もリーグを離れることになったからです。10チームのリーグから一挙に4チームが消える危機です。
 しかし今回は、その直前まで続いたリーグの「黄金時代」に活躍した外国籍選手たちの話をまとめておこうと思います。
 男子の日本サッカーリーグでは、1967年にブラジルから日系二世のネルソン吉村がヤンマーに加わり、大きな刺激を与えました。1970年代にはいると、セルジオ越後(フジタ)、ルイ・ラモス(読売クラブ)など、日本のサッカーに大きな影響を与える選手がブラジルからやってきますが、1980年代には国籍もさまざまになり、さらにプロ選手の登録が認められた80年代後半になると、強豪国の代表クラスの選手がやってきます。1994年から「L・リーグ」と呼ばれることになる日本女子サッカーリーグのスタートは、そうした時代でした。
 若い選手が多いチームで1989年の第1回リーグに参加することになった清水FCは、開幕直前にチャイニーズタイペイ(台湾)代表のエースであるFW周台英を補強します。当時のチャイニーズタイペイはアジアの強豪のひとつでした。周台英は12得点を挙げて第1回リーグの得点女王となり、清水に優勝をもたらします。
 この活躍を受けて、1990年代にはいると外国籍選手が続々とリーグに登場します。清水は謝素貞、許家珍を補強、周台英との「チャイニーズタイペイ・トリオ」でチームを強化します。1991年にリーグ昇格を果たしたフジタはアメリカ代表GKのグレッチェン・ゲグを、そして優勝を目指す「プリマハム・FC・くノ一」は中国代表のMF李秀馥、FW菫樹紅をリーグ戦に投入します。李秀馥は後にこのクラブの監督も務めました。
 しかし女子リーグだけでなく、日本のサッカー全体に驚きを与えたのが、1992年、リーグ昇格2シーズン目の日興證券の発表でした。ノルウェー代表のFWリンダ・メダレンとDFグン・ニイボルグの加入です。ノルウェーは前年に行われた第1回女子ワールドカップの準優勝国で、メダレンは6点を記録して得点3位、MVP投票でも3位にランクされた「ワールドクラス」のスターでした。
 メダレンは1997年まで6シーズン日興證券で活躍し、得点王2回、MVP1回。1996年には18試合で29ゴールというリーグ最多記録をマークしています。素晴らしいスピードとシュート力の持ち主で、強いメンタリティーでチームのリーダーでもありました。ニイボルグはノルウェー代表ではDFとして活躍していましたが、日興證券ではMFとしてプレー、1994年にはアシスト女王となっています。
 日興證券はこの2人に続いてFWヘーゲ・リサ、MFアグネッテ・カールセンと、ノルウェー代表を獲得し、3連覇を成し遂げました。
 カナダからも代表選手が来日します。1992年にはフジタがFWキャリー・セアウェトニク、1994年にはプリマハムがFWシャーメイン・フーパーを獲得。パワーとスピードを兼ね備えたフーパーは1995年に得点女王(27得点)、MVPとなってプリマハムを初優勝に導いています。
 「危機」の時代を迎える直前、日本女子サッカーリーグは、男子でいえばイタリアの「セリエA」のように、世界のスターが集まるリーグでした。当時、世界各国の女子チームは恵まれた環境になく、アメリカでは代表選手が日常的にプレーできる環境もありませんでした。アメリカに最初の女子プロサッカーリーグが誕生するのは2000年のことです。
 そうしたなか、大企業に支えられ、住居と仕事が保証され、専用練習場、プロの指導者などの好環境でサッカーに取り組むことができていたのが、日本の女子リーグだけだったのです。ワールドクラスの選手たちが日本でプレーすることにあこがれたのは当然でした。
 その状況も、1998年を最後に大きく変わってしまいますが、なでしこリーグの歴史のなかにそうした華やかな時代があったことを忘れることはできないのです。

文=大住良之(サッカージャーナリスト)
写真=ベースボール・マガジン社

(つづく)

このページを共有する
  • ツイートする
  • シェアする
  • ブックマーク
  • LINEで送る