連載コラム

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2021年10月20日

なでしこリーグの歴史を知ろう 第12回「『なでしこ』の誕生」

日本で女性がサッカーをプレーすることが珍しかった時代から、女子サッカーリーグ開幕、女子ワールドカップ優勝、女子プロサッカーリーグ創設、また、女子サッカーを取り巻く環境、そして社会情勢は大きく変化してきました。
年内にかけて全22回の連載を予定しています。激動の日本女子サッカーの歴史を振り返ります。
(毎週水曜更新)

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アテネオリンピック2004アジア地区予選 準決勝 朝鮮民主義人民共和国戦

2004年の七夕、日本サッカー協会は5月から6月にかけて一般公募していた日本女子代表チームの愛称を発表しました。いまでこそ多くの競技の日本代表チームに愛称がつけられていますが、当時はメディアでは使われるものの競技団体が正式につけたものはなく、日本で最初の例でした。
 「なでしこジャパン」
 あでやかな浴衣姿の5人の日本女子代表選手がもった大きな紙には、キャプテンの澤穂希の筆による新しい名称が鮮やかに書かれていました。そして8月に行われたアテネ・オリンピックでの活躍で、「なでしこ」は女子サッカーのシンボルとなります。
 その始まりは、2002年にそれまでJリーグのチェアマンだった川淵三郎さんが日本サッカー協会の会長(キャプテン)に就任したことでした。10月に韓国の釜山で行われたアジア大会を視察した川淵キャプテンは、女子選手たちが恵まれない環境で奮闘している様子に感銘を受け、女子代表の待遇改善を指令、なんとしても2004年のアテネ・オリンピック出場を達成させようと、そのアジア予選を日本に招致したのです。
 アジアからの出場枠は2つ。準決勝で勝てばそのひとつを手に入れることができます。相手は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)。アジア最強のチームであり、日本は十数年間もこの強豪に勝ったことがありませんでした。しかし東京の国立競技場につめかけた3万1324人のサポーターの圧倒的な声援を受けて、選手たちは奮いたちました。
 前半12分に荒川恵理子のゴールで先制すると、前半のアディショナルタイムには荒川のクロスを相手がクリアしそこねてオウンゴール。後半19分には山本絵美の右CKをファーポストで宮本ともみが折り返し、飛び込んだ大谷未央が決めて3-0で快勝したのです。
 テレビ朝日系の全国ネットワークで視聴率16.3%、関東地区での瞬間最高視聴率は31.1%を記録したこの試合の熱気を受けて、日本サッカー協会は「愛称募集」を開始、2700通の応募から選ばれたのが「なでしこジャパン」だったのです。
 アテネ・オリンピックの女子サッカーは、総合開会式の2日前、あらゆる競技に先駆けて始まりました。日本選手団の先陣を切って登場したなでしこジャパンは、磯崎浩美の長いFKを大谷がつなぎ、荒川が決めて先制。チーム全員の献身的なプレーでその1点を守り、1-0で勝利をつかみます。日本全国が注目していた試合。「なでしこ」の名が、日本中のひとびとの口にのぼるようになりました。それまで「女子サッカー」というものを知らず、知っていてもほとんど関心がなかった多くの人が、注目するようになったのです。
 当時「L・リーグ」の愛称で活動していた「日本女子サッカーリーグ」も、すぐに反応します。9月、オリンピック後のリーグ再開を前に、「なでしこリーグ」という新しい愛称を発表したのです。
 この年に始まった2部「L2(なでしこリーグ2部)」では「岡山湯郷Belle」が14戦全勝という圧倒的な成績で優勝、以後1部の強豪となっていきます。そして1部では「さいたまレイナス(翌年から浦和レッズレディースとなる)」が初優勝を飾ります。
 この年のL・リーグは、日本サッカー協会が「女子サッカーの活性化」を主要な事業のひとつとしたため、ひさびさにすべての試合が観客席のある「スタジアム」での開催となり、オリンピックによる中断の直前に東京・稲城市の稲城中央公園総合グラウンドで行われた「日テレ・ベレーザvsTASAKIペルーレFC」戦(前シーズンの1位対2位)には2500人もの観客が集まりました。
 「なでしこ」は、北半球に広く分布し、日本にも自生していた多年草です。初夏から秋にかけて、ピンクの可憐な花を咲かせます。奈良時代に編まれた『万葉集』の時代から歌によまれ、江戸時代には品種改良が進んで人びとにとても愛されました。「撫でし子」という文字から、子どもや女性にたとえられ、「やまとなでしこ」という使われ方をするようになって、穏やかで控えめながら、シンの強い日本女性を象徴するようになりました。まさに、チーム一丸、力を合わせて挑戦する日本の女子サッカーのイメージそのものだったのです。
 「なでしこジャパン」の奮闘で女子サッカーがようやく一般の人びとにも知られるようになり、「なでしこリーグ」は冬の寒さを乗り越えて、花開く時期を迎えるのです。

文=大住良之(サッカージャーナリスト)
写真=JFA

(つづく)

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