連載コラム

このページを共有する
  • ツイートする
  • シェアする
  • ブックマーク
  • LINEで送る

2021年10月13日

なでしこリーグの歴史を知ろう 第11回「新しい勢力の台頭」

日本で女性がサッカーをプレーすることが珍しかった時代から、女子サッカーリーグ開幕、女子ワールドカップ優勝、女子プロサッカーリーグ創設、また、女子サッカーを取り巻く環境、そして社会情勢は大きく変化してきました。
年内にかけて全22回の連載を予定しています。激動の日本女子サッカーの歴史を振り返ります。
(毎週水曜更新)

tasaki_1.jpg
田崎ペルーレFC

1989年に誕生した日本女子サッカーリーグ(現在のなでしこリーグ、1994年~2004年はL・リーグ)は、多くのチームが大企業に支えられて華やかに行われていましたが、日本経済の悪化で支援企業の多くが離れ、スタートから10年目の1999年には存続できるかどうかの危機に立たされていました。
 そんななか、不況の影響を受けず、リーグをリードしたのが「田崎ペルーレFC」でした。1998年には前期後期とも10チーム中7位でしたが、1999年にはともに2位に躍進、全日本女子選手権(現在の皇后杯)で初優勝を飾ります。2001年と2002年のL・リーグで連続して「日テレ・ベレーザ」に次ぎ2位という好成績を残した後、2003年、ついに初優勝を果たします。そして全日本選手権では、初優勝の後、2年連続で準優勝、2002年度と2003年度には連覇を飾るのです。
 当時のペルーレには、DF磯崎浩美、MF山本絵美、川上直子、柳田美幸、FW大谷未央といった、日本女子代表の中心選手たちがそろっていました。選手たちの多くは、真珠やダイヤモンドのアクセサリーで有名な「田崎真珠」の社員で、午前中は仕事をし、午後は会社がもつ専用グラウンドで練習をするという、非常に恵まれた環境にありました。他のチームが大企業の支援から切り離されて「市民クラブ」化するなか、ペルーレに好選手が集まり、強化が進んだのは自然のなりゆきでした。
 エースの大谷は2001年から3年連続得点女王。2005年には25得点を記録して4回目の得点女王に輝きます。「得点女王4回」の記録は後に大野忍と田中美南(ともにベレーザ)に並ばれますが、21世紀の初頭にL・リーグを代表するストライカーだったことを示しています。
 ペルーレの前身は「神戸FCレディース」です。1970年に誕生した日本で初めての地域に根ざした「神戸フットボールクラブ」の一部門として1976年にスタート、たちまち関西の強豪となり、1989年に始まった日本女子リーグにも加盟します。加盟に当たって「スポンサー」として田崎真珠がつき、正式名称は「田崎真珠神戸FCレディース」となりました。そして1991年に神戸FCから田崎真珠にチームを移管、学生選手もいましたが、ほぼ純粋な「企業チーム」になるのです。 
 1993年と1994年はリーグから降格という苦痛も味わいますが、1995年に復帰、以後、徐々に力をつけていきます。そして大企業チームが次々と抜けると、積み上げてきたチームづくりの努力とともに、練習環境の良さが一挙に花開きました。
 ただ、このチームも、「企業の業績悪化によるスポーツチームの危機」を乗り越えることはできませんでした。優勝した翌年に「TASAKIペルーレFC」と名称を改めたチームは、2008年を最後にリーグから姿を消すことになります。
 なお、「神戸FC」は1991年に女子チームを田崎真珠に移した後、中学生と高校生を中心とする育成チームとして女子部門を再編成、現在も神戸で元気に活動しています。
 ペルーレに続いて2004年に女王の座を射止めたのが「さいたまレイナス」でした。得点女王とMVPをダブル受賞したのは日本女子代表のMF安藤梢。この年のベストイレブンには、安藤、日本女子代表GK山郷のぞみとともに、DF笠嶋由恵、田代久美子、MF高橋彩子の計5人が選ばれています。
 1980年に誕生した「浦和本太レディース」が女子日本代表FW水間百合子を擁して1994年に日本女子リーグに昇格(チーム名は「浦和レディースFC」)します。資金的なバックアップをもたない「まちのクラブ」の悲しさで、1年で降格となりますが、1998年にこのクラブから派生して「浦和レイナス」が誕生、元日本代表・Jリーガーの田口禎則監督の下、たちまち強化され、1999年にL・リーグに昇格、浦和市と大宮市などの合併で「さいたま市」となった2002年に「さいたまレイナス」となりました。
 優勝の翌2005年、このチームはJリーグの浦和レッズに移管され、「浦和レッズレディース」となって「なでしこリーグ」の主役のひとつとなっていきます。そして2009年、2014年、2019年と優勝、「レイナス」時代を含め、昨年までの32シーズンのなでしこリーグ中、ベレーザの17回に次ぐ4回の優勝を飾るのです。
 育成の努力を豊かに実らせて「永遠の女王」のように君臨し続けたベレーザへの挑戦の歴史が、過去32シーズンのなでしこリーグの歴史そのものでした。そのなかで、最後まで「企業チーム」の良さを発揮した「田崎ペルーレ」と、Jリーグのクラブが女子にも力を入れることを示した「浦和レッズレディース」の存在は、「時代の分かれ目」のなかで、とりわけ際だったものでした。

文=大住良之(サッカージャーナリスト)
写真=Jリーグ

(つづく)

このページを共有する
  • ツイートする
  • シェアする
  • ブックマーク
  • LINEで送る