連載コラム

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2021年07月29日

日本全国なでしこリーグの街を訪ねて コノミヤ・スペランツァ大阪高槻編

大阪府高槻市は、京都と大阪の、おおよそ中間にあります。京都駅から高槻駅(JR)までは山陽本線新快速で1駅。駅前には2つの百貨店があり、暮らしやすい街として評判です。コノミヤ・スペランツァ大阪高槻は、1990年に大阪高槻レディースサッカークラブとして創設されて以来、ずっと、高槻市で活動してきました。「日本全国なでしこリーグの街を訪ねて」第2回は、コノミヤ・スペランツァ大阪高槻と共に歩む人を訪ねてみます。

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賑やかな高槻駅前

この連載では、なでしこリーグ1部で戦う全クラブのホームタウンを探訪します。各クラブを支えてくださる皆さんのお話をうかがい、地域で活躍する選手の姿を捉えます。アマチュアリーグであるなでしこリーグの存在意義、そして、選手が地域の皆様に応援していただける理由を感じられると思います。ぜひ、最後までご覧ください。

丸山桂里奈さんの現役時代から応援「行くしかない」 株式会社フードリエ 竹内弘次さん

ユニフォームスポンサーの株式会社フードリエはハム・ソーセージ、チルド食品などの製造販売を主な事業としている食品メーカー。本社は高槻市にあります。『パリッと朝食ウインナー』『アンパンマンシリーズ』が全国で人気です。

近畿支店長 竹内弘次さんは、スポンサー担当者としてコノミヤ・スペランツァ大阪高槻に関わっています。初めて試合を観戦した頃のことを質問すると、このように答えてくれました。「覚えているのは、攻撃的だったことです。もっと女性のスポーツは違うイメージと思っていたのですが、(選手がお互いに)結構削りあっているような印象でした。当時は丸山桂里奈さん(2012年〜2016年在籍)が現役で、大きな声を出していました。試合の雰囲気は張り詰めた感じでしたね。軽くクラブ活動の延長くらいに思って見に行ったので、選手が高い意識を持ってやっていることに驚きました」

竹内さんは、試合の空気感やライブ感が好きなのだそうです。確かに、中継動画からだけでは伝わらない臨場感が、生観戦のスタンドには伝わってきます。「コノミヤ・スペランツァ大阪高槻は、どちらかといえば『愛されるチーム』なのかな。『行け!』とか『勝て!』とか言われるのではなく『頑張って!』と応援されるみたいな」

一生懸命ボールに食らいつく、ディフェンスをきちんとやって得たチャンスを確実に活かす......スポンサー企業の立場として、選手の頑張りが伝えてくれる「元気」や「明るさ」を応援していきたい。そんなお話をしてくださる竹内さんですが、担当期間が長くなるにつれ、年々、応援の熱が増しているようです。女子サッカーの面白さは、どこにあるのか聞いてみると、やはり1番の面白さは「勝ち負け」だとのこと。しかし、それだけではありません。「面白さは、各自で見つけていただいたら良いと思います。この選手の動きが良いとか、可愛いとか、かっこいいなとか、憧れるとか。逆にクラブと選手は魅力を磨いてほしいですね。常に見られていることを意識して活動してくれれば、より魅力的なクラブになると思います。

2020年12月19日、豊田市運動公園球技場のスタンドに竹内さんの姿がありました。2020プレナスチャレンジーリーグ順位決定戦 第2戦です。この試合の結果で、次年度なでしこリーグ1部に参入できるかどうかが決まる大切な一戦。「やっぱりあの日は行くしかない」と思い、竹内さんは駆けつけたのです。双方が、なかなかシュートを放てない痺れる試合展開が続き、スコアレスで延長戦に突入。106分にチャンスが到来します。「最後、ヘディングが因幡の白兎みたいになってシュートが入ったと思うんですよ、ポンポンポンと当たって。普段から身につけたボールに対する執念と練習の成果だろうなと思います」と、少し興奮気味に話す竹内さん。その話し振りから見て、おそらく、当日は、スポンサーというよりもファン・サポーターに近い気持ちで応援されていたのではないかと想像しました。今シーズンは、久々のなでしこリーグ1部で戦うコノミヤ・スペランツァ大阪高槻。竹内さんは、いつものようにスタンドから選手たちを見守ります。

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『アンパンマンシリーズ』を手に、株式会社フードリエ 近畿支店長 竹内弘次さん

選手に最高のパフォーマンスを出してほしい スポーツクラブトライ 中川隆さん

各地域に「名物」と呼ばれるほど、熱くクラブを応援してくださる人がいます。コノミヤ・スペランツァ大阪高槻では、中川隆さんが、その一人です。中川さんは独自のメソッドを開発・提唱し、アスリート向けだけではなく、ダイエット、健康増進を目的とする方にまで、様々なトレーニングを推奨しています。十種競技の日本記録保持者の右代啓祐選手、競歩20㎞の世界記録保持者の鈴木雄介選手などが中川さんを訪ねトレーニングしています。

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スポーツクラブトライに飾られたコノミヤ・スペランツァ大阪高槻のシャツ

トレーニングウェアスポンサーのスポーツクラブトライを訪ねてみました。ここには、背番号10の保坂のどか選手をはじめコノミヤ・スペランツァ大阪高槻の選手が通い、パーソナルトレーニングやボディケアを行っています。中川さんは、特に、効率の良い身体の使い方を指導しています。

中川さんとコノミヤ・スペランツァ大阪高槻の関わりは10年以上前のこと。なでしこジャパン(日本女子代表)に14試合出場の経験がある中岡麻衣子選手が細田真砂智監督(当時)に連れられて、ここを訪れたことからだそうです。「中岡選手は足首を捻挫していました。本来は代表入りできる選手なので、早く復帰させてあげたいということでした」と中川さん。持久力や不安な足首の安定性などを改善し、怪我をしにくい身体づくりを指導しました。指導後は、中岡選手のプレーに安定感が増し、頭の位置がブレる無駄な動きが減ったそうです。中岡選手をきっかけに、何人かの選手が通い、ここに集まるようになりました。

中川さんは、高槻生まれの高槻育ちです。高槻市に対する深い愛情があります。コノミヤ・スペランツァ大阪高槻の選手には「高槻という土地を大好きなままでいてほしい」と願います。「高槻で有意義な時間が過ごせた」「怪我をしたときも、高槻では良いサポートを受けられた」と記憶に残してくれると嬉しいと言うのです。

中川さんはコノミヤ・スペランツァ大阪高槻をサポートする理由を「選手みんなが高槻を背負って頑張ってくれているから」と断言します。「コノミヤ・スペランツァ大阪高槻の応援をこれからも続けていきたいです。高槻のサッカーを盛り上げていきたいという気持ち、選手に最高のパフォーマンスを出してほしいという気持ち......そういう情熱を持ってサポートしていきます」

中川さんは、自らの想いを畳み掛けるように語ります。

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スポーツクラブトライで熱く語る中川隆さん (※撮影時にマスクを取りました。)


引退まで、ずっと社長に励ましてもらった「ホウレンソウ ノート」 コノミヤ 島村裕子さん

中川さんのお話に登場した中岡選手はTASAKIペルーレの休部に伴い、2009年にコノミヤ・スペランツァ大阪高槻へ移籍してきました。同時に、TASAKIペルーレからコノミヤ・スペランツァ大阪高槻に移籍した選手がいます。その一人が島村裕子選手です。3つ目の訪問先は元選手・島村裕子さんが働く高槻市内のコノミヤです。コノミヤは関西地方を中心に展開している食品スーパーマーケットチェーン。ユニフォームスポンサーです。

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プレナスなでしこリーグ2009オフィシャルガイドブック

選手時代からコノミヤで働く島村さんは、2021年7月1日に副店長に昇進しました。現在は店舗運営の管理業務を行なっています。この店舗では、現在、4名の選手が島村さんの下で働いています。

2009年にTASAKIペルーレからコノミヤ・スペランツァ大阪高槻に移籍した、複数の選手がコノミヤの店舗で働きました。当時は、午前中ではなく夜の練習だったため朝から夕方まで店頭で8時間働いていました。体力的には苦しく感じることもあったようですが、当時のことを島村さんは、このように振り返ります。「正社員で働かせてもらっていたことと、年中休みなしに営業している小売業なのに、土日は必ず休みをもらえたことに感謝していました。任せてもらえる仕事は多かったです。やりがいを感じていました。責任ある仕事まで任されたのが嬉しかったことを覚えています」

島村さんの引退は2015年。コノミヤ・スペランツァ大阪高槻に移籍してきて7年間......長かったようであっという間でした。店長へ報告は口頭でしたそうです。しかし、社長への報告は文章で。なぜでしょう。コノミヤには、社員がどのようなことでも自由に書いて社長に提出できる「ホウレンソウ ノート」があるのです。

「私は、いつも、試合の結果報告とか仕事内容を書いたりしていました。あの日は、そのノートに、これまでの感謝の気持ちを書いて、社長に引退報告しました。新入社員のときは、試合結果を報告して、折り返し社長にコメントもらって励まされました。『夢を諦めないで』『勝って涙する』『最高ですね』とか書いてくださって嬉しかったですね」

引退の報告に対して、書かれていたのは社長から島村さんへの感謝のメッセージ「サッカーを引退したらコノミヤを辞める方も多い中で残っていただいてありがとう」という文章でした。「1ページぐらいですかね、たくさん書いてもらいました。またそれで頑張ろうという気持ちになって、仕事で恩返ししていこうという励みになりました」

今の仕事にサッカーの経験で生かされているのは「忍耐力」と「考えて動く」ことだそうです。コノミヤには「考動(こうどう)する」という言葉があります。「サッカーでも予測して先に動きます。それが活きていますね」そう力強く語るときの島村さんは元選手ではなく、副店長の表情でした。社長への恩返し......もう、十分に出来ているかもしれませんね。

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コノミヤ名物ジャンボチキンカツを手にするコノミヤ 副店長 島村裕子さん

コノミヤ・スペランツァ大阪高槻のチームエンブレムの橙色は「高槻に存在する豊かな土と郷土愛」を表現しています。支えてくれる、あの人と共に、コノミヤ・スペランツァ大阪高槻は、今日も前に進みます。

今回はコノミヤ・スペランツァ大阪高槻のホームタウン・高槻市の皆さんを訪ねました。

Text by 石井和裕

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